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適応能力とは?

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こちら中国で必要とされる第1義的能力が前回は適応能力であると言いました。

今回は環境適応能力に関して考えてみたいと思います。

これは外部環境に自己を適応させる能力です。

大変興味深いエッセーが五木寛之さんの大河の一滴という中にあります。

大河の一滴  五木寛之著 (出典:幻冬舎文庫:P167~P169より)

前にC・Wニコルさんから南極かどこかへ探検に行ったときの話しを聞いたことがあるのですが、彼はこんなことを言っていました。

南極などの極地では、長い間テントを張って、くる日もくる日も風と雪と氷のなかで、じっと我慢して待たなければいけないときがある。そういうときに、どういうタイプの連中が一番辛抱づよく、最後まで自分を失わずに耐え抜けたか。ニコルさんに言わせると、それは必ずしも頑健な体をもった、いわゆる男らしい男といわれるタイプの人ではなかったそうです。

たとえば、南極でテント生活をしていると、どうしても人間は不精になるし、そういうところでは体裁をかまう必要がないから、身だしなみなどということは殆ど考えなくてもいいわけです。にもかかわらず、なかには、きちんと朝起きると顔を洗ってひげをそり、一応、服装をととのえて髪もなでつけ、顔をあわせると「おはよう」と挨拶し、物を食べるときには「いただきます」と言う人もいる。こういう社会的なマナーを身につけた人が意外にしぶとく強く、厳しい生活環境の中で最後まで弱音を吐かなかった、というわけです。これはおもしろい話だと思います。

礼儀、身だしなみ、こういうことは極限状態のなかでは最後に考えることのような気がします。しかし実際には、そういうなかで顔をあわせたときにきちんと「おはよう」と挨拶のできるような人、「ありがとう」と言えるような人、あるいは朝、ほんのわずかな水で顔を洗い、ひげも剃って、それなりに服装を整え、そして他人と礼儀を忘れずに接するという、小さいときからの自分の生活態度をずっと守りつづけたようなタイプの人のほうが、むくつけき頑強な熊のような大男よりも、かえって最後まで頑張り抜いて弱音を吐くことがなかった、という。そんな話を聞いたりすると、うーん、それも新しいサバイバルの方法であるな、という感じがします。

如何でしょう?

環境への適応能力とは決して難しいことや高度な能力が必要とされているのではないと思います。その根本原理は実は大変シンプルで素朴なものであると思います。

こちら中国は南極ではもちろんありませんが、五木さんのこの文書には大変考えさせられます。

次回は人(中国の方)との適応能力に関して考えてみたいと思います。

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