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先日リフレッシュできた能登半島への小旅行ではいろいろと感じ&考えさせられたことが多くあったが、本日の話題は、トイレ(お手洗い)に関してである。
人間の日常生活でこのお手洗いは、絶対必要なものである。そしてすべての人間はこのお手洗いが清潔であって欲しいと願っているはずだ。
曹洞宗大本山 総持寺祖院にあったトイレはセンスの良さとその清潔さが素晴らしい。
男子トイレでは、和のセンスとも言うべき畳を敷き詰めたイメージのフロアーで、お寺というイメージとトイレ設計センスとが見事に合致していた。さらに驚いたのはその清潔さである。
設計段階でのセンスでは、センスの良さが問われるが、トイレの快適さというのは、トイレ設計センスの良さだけではない。そこに求められるのは、清潔さである。
では、この清潔さは、どこから来るのであろう?
私は日常の清掃という習慣そのものだと考えている。
簡単な例でいえばお隣の中国だ。最近では国家的号令でトイレをきれいにしようとしているが、この活動もトイレに資金をかけるだけで、清掃するという習慣までは立ち入っていない。
恐らくは1年もしない短い時間の中で、快適さのないトイレになってしまうであろう。まさに典型的中国式というものだ。
写真は総持寺のトイレ(右)と2017年9月18日の記事にアップした中国トイレ(左)の写真。