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最近新聞やTVで官僚の不祥事のニュースが多い。
総務省や厚生労働省の官僚たちによる不祥事のニュースだ。これらのニュースは新しいニュースとは私は感じていない。昔からあったことだ。
20数年前には、「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」という当時の大蔵省の接待汚職事件が発生したことはまだ私の記憶には新しい。
いつも感じるが、なぜあれだけ優秀な官僚たちが、このようなマスコミを騒がせる不祥事を起こすのか?である。
成績優秀で頭の良い、いや正確な表現では過去の学校成績が良かった方がである。何故か?
私は学生時代には、いろんな友人が居たことを懐かしく思い起こすのである。
@走るのが速い友人もいた。
@絵を書くのが上手な友人もいた。
@楽器がものすごく上手が友人もいた。
@そして成績の優秀な友人:つまり学習科目の偏差値の高い友人もいた。
今から思うと、成績の優秀な友人が国の官僚になっていることが多い。
私が教育を受けていた時代には、成績優秀な方があたかも人格までの立派で、素晴らしとされていた感がある。そしてそういった方が、今マスコミを騒がせている。
どの職業であってもそれぞれの専門領域とは別に道徳観・倫理観が問われるものだ。
偏差値の高い人は、なぜ人格までも高く立派であると錯覚してしまったのだろか?
偏差値が高いのは、本来その方の全人格の特性の1側面でしかないはずだ。
そして最も不幸なことは、このような偏差値の高い方が、官僚というどの職業より道徳観・倫理観が厳しくを問われる職業に就いたことだろう。
その意味で今の優秀な官僚たちはもしかして、過去の日本の教育価値体系の中での犠牲者なのかもしれないとも思うのである。
桜が満開で、新年度・新学期が始まり、人生の新たなスタートラインに立っておられる方が多いこの時期に感じることである。