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本日はなんとも懐かしい張家港に業務で日帰りで行ってきた。
私にとり張家港とは、ひとことではなかなか語れない街だ。
1997年~2003年まで、ある日系企業の総経理として張家港に駐在をしていた。
会社の運営・撤退までの企業の誕生から運営、そして徹底とこのような短期間で多くのことを学習することができた。
その会社は残念ながら徹底を決意し、私自身の独立へと繋がった経緯がある。
この期間に私は、およそ中国での日系企業が直面するでろう諸問題の圧縮型体験を張家港で出来たと思い今では、感謝の気持ちで一杯である。
ほぼ20年前から15年前の話である。
当時の張家港とは、比較にならないくらい現在では多くの日系企業様が進出されているという。
私が総経理をしていた会社のあたりは、張家港市の都市計画により、大規模は病院が建設され、当時の面影は一切なかった。
極めて近代的な街に変貌していた。
もちろん当時一緒に働いてた社員の方も張家港には、大部分はいないであろう。
私自身も張家港ではなく、上海ベースだ。
私の記憶の中にだけ存在する会社になっている。
写真は張家港経済技術開発の前の様子。